博士の介護

介護離職は20代でも起こり得る

途方に暮れている男性
doctoryoume23

「介護離職」
この言葉を聞いて、どこか遠い国の話だと思いましたか? 
 昔、私もそう思っていました。
 「介護離職」という言葉を聞いたとき、「日本が直面する問題だ!」と思っていました。
 とても他人事で、自分自身の話ではないと思っていました。

申し訳ない、惨めな毎日
 しかし、「その時」が来てから、私の頭の中には毎日のように「介護離職」という言葉がちらついています。介護が理由で人に謝るとき、いつも惨めで、申し訳ないからです。私はできるだけ真面目に、普通に仕事をしているつもりでした。無断遅刻も無断早退もしませんし、必要とあれば連絡を必ずいれました(少なくとも、私自身はそう思っています。もしかしたら、勘違いがあったかもしれませんが)。
「その時」は突然、来ます。私には1個目はじわりじわりと来て、2個目は突然来ました。それからというもの、毎日が激動です。日々生きていくので手一杯です。

準備はすぐにはできない
 私は京都大学で教育を受けました。世界で最高の高等教育を受けさせてもらえました。そのことについてはとても感謝しています。ですが、もしも大学に入った頃の自分に会えたとするならば、「その時」はいつか必ずくる。ということを伝えたいと思いました。「いつか来るから、ちょっとずつで良いから用意をする」のと、「自分自身には関係ない。そのときになったら考えよう」ではまるで違います。今回、皆さんに認識してほしいのは「その時来たら、考える余裕なんてない」ということです。

準備がないと、大事なものを捨てる
 「介護離職? 今の日本には制度がたくさんあるし、贅沢さえしなければ何とかなるんじゃないの? 」 と思うかもしれません。結論としては、何ともなりません。何とかするためには、あなたの大切な物を手放す必要があります。それは友人との飲み会かもしれません。週末に行く喫茶店巡りかもしれません。好きなカメラでの撮影旅行かもしれません。ボードやスキー、地元のバスケットチームの練習かもしれません。これは私の主観なのですが、何の用意もなしで「その時」がくると、趣味、仕事、友人関係、家族のどれか一つは確実に犠牲にする必要を迫られます。私は、趣味と友人関係を犠牲にしました。

それでも、周囲の助けが必要
 今から思えば趣味も友人関係も犠牲にする必要はありませんでした。さっさとカミングアウトして、周囲の理解を得ておけばよかったのです。ですが、当時の私はそれがどうしてもできませんでした。今から思えば、恥ずかしさ、悔しさ、自分はそんな状況ではない、というプライドなどがあったのだと思います。甘えてはいけない。そんな気持ちもずっとありました。

その時 は人によって千差万別
 「その時」は人によってまちまちです。高齢による介護、が一般的な印象だと思いますが、事故や病気、事件や地震、台風、災害など、私たちがその時に遭遇することは無数にあります。そして、それらを避ける有効な対策の1つは、目をしっかり開いていること、です。他人事だと思わないでください。なので、目を閉じてしまうと、その時が来てしまう可能性があります。つまり、その時が連続してくる可能性が十分にあるということです。例えば、高齢な両親の介護をしていて疲れ切ってしまった。それでも寝不足ながら仕事をしていたら、事故にあって自分自身も大怪我をしてしまって、動けなくなってしまった。

その時は必ず来る
 家に帰るのが嫌で嫌でたまりませんでした。だって、家に帰ったら地獄が待っているのです。仕事と家での介護の二点だけが私の生活です。友人にも職場にも相談できませんでした。とても追い詰められていました。時間があったら介護について考える、なんて夢にも思いません。だって介護は現実に目の前にあって、今、やりたいことはとにかく「ゆっくり寝たい」、ということです。だから、もし、時間が戻せるなら私は昔の自分に言いたいです。
「介護について考えろ、その時、は必ずくる」 そして、今、この記事を読んでいて「介護離職、へ~、大変だな~」と思ったあなたは、昔の私と同じかもしれません。どうか、気を付けてください。

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Doctor YouMe
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京都大学 理系博士/基礎ウイルス研究者
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