真面目な人が感じる障害者手帳への罪悪感と恥ずかしさ
障害者手帳の有無は行政からの支援の有無と直結する
皆さんは障害者手帳を知っていますか? 身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の3種の手帳を総称した一般的な呼称です。障害者手帳は証であって、この手帳があれば自動的にお金がもらえたりするわけではありませんし、税制上のサービスを受けられるわけではありません。ですが、この障害者手帳がないと、事務手続きがとても面倒になります。こんな大事な障害者手帳ですが、真面目な人にかぎって、障害者手帳をもらうこと、使うことに罪悪感や恥ずかしい、と感じる人がいます。先ず捨てるべき「障害者手帳をもらうこと、使うこと」に対する固定概念を40秒で分かる文量で簡単に解説します。
必要な人が障害者手帳をもらい、使うことは国民にとっての権利
私たちは日本国民として税金を払っています。そして、私たちの親も、そのまた親も国に税金を払ってきました。私たちの国である日本は、私たちの税金によって成り立っています。そして、国民として国に税金をきちんと納めることは国民としての大切な義務です。そして、その義務を果たすことで、日本国は私たち国民に対して、日本国憲法を約束しました。つまり、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重です。そして、今回の障害者手帳は基本的人権の尊重に該当すると思います。なぜ、基本的人権の尊重を見たかと言いますと、健常者を前提として構築された今の日本の社会システムと公共物は障害がある人とその家族が利用するには不便だからです。例えば、歩道橋です。車イスで歩道橋を見上げると絶望します。それを何とかするために、障害者手帳を見せることで電車バスなどの公共機関を格安で利用できるようにしたりしています。なので、私たちや私たちの親が税金をずっと納めてきたので、障害者手帳取得条件を満たし、障害者手帳をもらえたら、それを使う権利があります。お金を払って商品を受け取らない、ってそんなことします?
真面目な人がおちいる、障害者手帳への罪悪感
ですが、障害者手帳の利用には恥ずかしい、や、罪悪感、という感情を真面目な人ほど強く感じる傾向がある気がします。障害者手帳を見せてサービスを受けようとした時、無愛想な態度を取られて悲しい気持ちになることはアルアル、なことだと思います。しかし、思い出してください、私たちや親たちが税金を払ってきたのは、それらのサービスを受けるためです。真面目な人はしっかり税金を払って、できうる限りの義務を果たそうとし、果たしてきました。それなのに、いざ、対価としてのサービスを受けようとすると、それを躊躇してしまうのです。それっておかしくないですか? 何度も書きますが、お金を払って商品を受け取らないのは変です。真面目に生きてきたのに、障害者手帳で恥ずかしさ、罪悪感を感じるあなたは誠実な方だと私は思います。そんなあなたこそ、障害者手帳を使うべきだと私は感じます。そして、もっと大事なことは、障害者手帳を使ってしっかり生きること(健康で文化的な生活)だと私は思います。